近代化遺産を巡る-防府市前編
22.56Km
 防府市の近代化遺産を巡ります。コースの途中には所々に史跡も出て来ますので、ついでに楽しんで下さい。
桑山公園の駐車場に車を置いてスタートします。防府駅前でレンタサイクルを借りてスタートしても、順番は少し変わりますが同じコースをたどれます。
桑山公園を東側(県立防府高校側)に下ると、近代化遺産ではありませんが、山口県の文化財に指定されている「野村望東尼終焉の宅」が建っています。これは、「野村望東尼終焉の地」である三田尻本町にあった、野村望東尼が身を寄せていた荒瀬家の離れを移築したものです。なお、防府高校側の道に面した箇所は、後に増築された部分で終焉の宅ではありません。
野村望東尼は福岡の人ですが、高杉晋作が一時九州に潜伏した時にかくまうなど、各地の維新の志士を支援した幕末の勤王歌人です。黒田藩の尊王派弾圧で姫島に流された時に高杉晋作によって救い出され、高杉晋作の最後を看取った後に防府の三田尻で病没しました。幕末維新ファンとしては押さえておきたい史跡です。
野村望東尼終焉の宅から県立防府高校の正門前を過ぎると南北に走る筋に当ります。この道は萩往還と呼ばれ、萩城下と海の玄関口防府三田尻を結ぶ長州藩の動脈でした。まずはこの道を北上し防府天満宮を目指します。
防府高校から防府天満宮までの間の萩往還は、複数の商店街が連続し古くから栄えていた事が分かります。所々に萩往還のらんかんばし跡や、毛利家の家紋が刻まれたこま犬がある天御中主神社などの史跡が点在しています。

当初、野村望東尼終焉の宅として、後に増築された部分の画像を掲載していましたが、この家屋を管理されておられる方から誤りである旨のご指摘をいただきました。ありがとうございました。

天御中主神社のこま犬の毛利家の家紋
萩往還のらんかんはし
 防府天満宮前を左折すると萩往還はしばらく旧山陽道と重複して延びています。この道はかつての国道でもあり、防府で一番栄えた通りでした。
目指す伊藤洋服店(テーラー伊藤)は防府天満宮から少し西進した所にある防府市指定史跡兄部家住宅と道を隔てた西側にあります。
洋館風の外壁に和瓦の寄棟屋根が乗った和洋折衷の意匠が目を引く店舗は、昭和4年(1929)竣工の木造モルタル塗りの2階建てで、今でも現役の洋服店です。
目地が切られた2階の腰壁がアクセントになっています。軒下のコーニス(帯状装飾)の上や2階の腰壁などに幾何学模様の意匠が用いられているのはセセッション式の影響でしょうか。入り口のガラス戸に入った「Tailor伊藤」の金文字がモダンな建物とよくマッチしています。この過剰な装飾を抑えたシックな商業建築は、かつて大勢の人が行き交ったであろう旧国道の繁栄の名残りでもあります。
次に目指す旧宮市商参会は兄部家住宅とテーラー伊藤の間を通る道に左折して南下しますが、この周辺には古代律令制時代から幕末明治維新までの史跡が集中しており、また漂泊の俳人種田山頭火の生家跡や幼少時代の通学路「山頭火の小経」などがありますので、時間をかけて楽しみたい場所です。
伊藤洋服店(テーラー伊藤)
 テーラー伊藤から約200mほど南下した左側に古びたビルが建っています。これが旧宮市商参会で、大正14年(1925)建設の木造2階建てモルタル塗りです。
宮市商参会は防府天満宮の門前町である宮市の商工業者によって明治31年(1898)に組織された商工団体です。昭和11年(1936)の市制施行を機会に三田尻実業会と合併し防府商工会となり、昭和15年(1940)現在の防府商工会議所となりました。昭和35年(1960)に新商工会館に移転するまで、この旧宮市商参会に事務所が置かれていました。
一見コンクリート造か石造風に見えますが、木造の外壁をモルタルで塗った、大正12年(1923)の関東大震災を意識した耐火構造になっています。横にまわってみると屋上部に僅かに片流れの屋根が見え、木造であると言う事が分かります。
ファサード(正面部分)は、窓を平面で構成された柱で挟み込むような意匠が採用され、直線的なデザインと柱頭やポーチ上部などに施された幾何学的な装飾は、当時流行したセセッション式の影響を受けています。柱頭の金属製の装飾は残念ながら腐食して朽ちかかっていました。
手入れもされずに放置されている様に見えましたが、よく見るとエアコンの室外機が設置されており、かろうじて現役で使用されているみたいで少し安心しました。
いま来た道をさらに南下してJAはなぎ事務所を目指します。
旧宮市商参会
 旧宮市商参会からまっすぐ南下して県道54号を渡り、栄町商店街を通り抜けるとJR防府駅前のルルサス防府に出ます。ルルサス防府は商業店舗や住宅、市立図書館などが入った複合施設で、市街地の再活性化を目指して建設されました。防府天満宮周辺のかつての繁栄の中心地から、現在の中心(希望?)地に一直線に移動したわけです。レンタサイクルを借りる人はここがスタート地点になります。
そのまま防府駅の北口前を通過し、JR山陽本線の高架の北側に沿って400mほど西進すると、鉄道記念公園がありレトロな機関車が展示されています。これが旧防石鉄道機関車と客車です。
防石鉄道は大正3年(1914)5月に石三軽便鉄道として発足、大正5年(1916)5月に防石鉄道と改称し、山陽線三田尻駅から徳地の掘まで運行していました。当初は石見(島根県)まで延長する計画でしたが結局実現せず、昭和39年(1964)鉄道営業は廃止され佐波川流域の住民の足としての役目を終えました。
展示されているドイツ・クラウス社製の2号機関車は、明治27年(1894)の製造で近代化遺産に指定されています。鉄道記念公園はJR山陽本線が高架化される前の在来線の線路だった所で、30mほど残された線路の上に機関車と客車が展示されています。

JRの高架の南側に出て高架沿いに2kmほど走ると道は直角に左にカーブしますので、そのまま道なりに進むと華城小学校がある四ツ辻があり、その一画にJAはなぎがあります。

防石鉄道機関車、客車
 正面の大きな切妻屋根が特徴的なJAはなぎ(JA防府とくぢ華城支所)は昭和6年(1931)竣工の木造1階建てで、外壁にはモルタルが塗られています。中央の切妻屋根の破風部分の突き出た軒飾りや、柱や梁を表面に露出させたハーフティンバー調の装飾などが目を引きますが、入り口ポーチ上部の幾何学模様の装飾をよく見ると、三角形が不規則に配置されていて不思議な印象を受けます。なにかの暗号みたいに見えます。正面にキャッシュサービスコーナーが出来た為に、残念ながら少し外観が変わってしまっています。
裏に回ってみると、寄棟屋根と切妻屋根が複雑にからみ合うように組み合わされていて、正面部分とはまた違った雰囲気になっています。この当時に建てられた農協関係の建物は下見板張りのシンプルなデザインの洋館が多かったらしく、その中でJAはなぎ事務所は異彩を放っていた事でしょう。

JAはなぎの角を左折して防府駅方面に少し戻り、スーパーARUKを過ぎて次の三叉路を右折し南進します。田中設備の案内看板がかかったカーブミラーがある三叉路を右折して少し行くと左側に次の目的地のS邸があります。この辺りの道は少し分かりにくいので注意が必要です。

JAはなぎ事務所
 住宅地の中にひっそりと建っている昭和9年(1934)竣工、木造1階建て一部2階建てのS邸は、貞永良昌氏の設計で2階建ての洋館と平家建ての和風住宅が組み合わされた和洋折衷の一風変わった印象を与えています。この住宅が建てられた昭和初期には、家族が和風の母屋で生活し、来客の応接を洋館部で行なう形式が流行したと言う事で、S邸もそれに習ったのかもしれません。
モルタル塗りされた洋館の外壁に特徴があり、銅板の柱頭をもった付け柱で縦長の窓を挟み込むようにした意匠や、大型の軒飾りがついた二重の庇が目を引きます。これは新聞で見た東京の帝国ホテルをヒントにしたと言われています。
初代オーナーは南米で成功した後に帰国しこの屋敷を建てられたそうで、玄関横の丸窓や玄関の両脇に配されたレリーフの装飾が異国情緒を醸し出しています。
日本瓦と銅板葺きが組み合わされた屋根は、和風建築部分と洋館部分に共通した意匠です。近代化遺産住宅では唯一「山口のすまい百選」に選ばれています。

S邸を通り過ぎて道なりに走ると航空自衛隊防府北基地に当りますので、右折して基地に沿うように走り県道190号中ノ関港線に出ます。自衛隊防府北基地の滑走路や南基地の諸施設にも近代化遺産に指定されているものがありますが、さすがに無断で写真を撮るのははばかられますし、現在では取り壊されているものも多いみたいですから、気になりつつもそのまま通過しました。

S氏邸
 航空自衛隊北基地の正門前付近で右折して県道190号から分かれ、田島山の山裾を走る旧道に入ります。航空自衛隊防府南基地の西辺を過ぎて少し走ると町並みは古く寂れた商店街に変わりますが、その道筋の右側に明治20年(1887)建設、木造1階建ての木原酒場(株)酒造場はあります。
道沿いに建っている店舗部分は、入母屋屋根、妻入の和風建築の妻側の2階部分に木造モルタル塗りの外壁を建てた看板建築風に見えます。店舗の奥にコンクリート製の煙突が見えて酒造場があるのが分かりますが、横に回り込んでみると屋根には大穴が開き今にも崩れそうで、現在では酒は造られていない様子です。120年前のこの建築物のどの部分が近代化遺産かはよく分かりませんでしたが、酒造場部分は解体の危機に瀕しています。

木原酒場から少し走って県道58号に当る手前を左折するとレトロな意匠の中ノ関橋が架かっています。

木原酒場(株)酒造場