山口県立図書館前の駐車場からスタート、県道203号通称パークロードを北上します。パークロードは「日本の道100選」にも選ばれた道で、四季おりおりの景観を楽しむ事ができ、この地域の近代化遺産巡りの中心地でもあります。
まずはパークロードを離れて最初の物件「県立山口高校記念館」を目指して、亀山公園の交差点を左折します。亀山公園の北側を過ぎて水路沿いの落ち着いた雰囲気の道を直進します。この辺りも新築の家の中に歴史を感じさせる家屋が混在していて良い雰囲気です。
パークロードから数百メートルも走ると山口高校のグランドの北側に出ますので、南側の正門に廻り込みます。 |
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パークロードをスタート
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山口高校をめざします
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目指す「県立山口高校記念館」は正門を入ってすぐの左側に建っています。水色に塗られた洋館は、遠くからでも良く目立つので探すのに苦労はしないでしょう。
この2階建の建物は旧制山口高等学校講堂として大正11年(1922)に建てられ、様式は当時文部省が各地に建てた高校建築様式と言う事です。フランスルネサンス様式の石造建築を模した木造建築で、水色に塗られた外壁と、正面中央の特徴的な五角形のギャンブレル屋根(腰折れ屋根)を挟む様に建っている塔屋が目を引き、公立高校にありがちな地味な校舎の中でここだけが異彩を放っています。往事は日本各地の高校にこの様な建物が建っていたとは驚きです。ハイカラな建物にバンカラ高校生達が肩で風を切りながら入って行く光景を想像してしまいました。
現在ではおとなしそうな吹奏楽部の生徒さんが部活動に使用しています。私が見に行った時もちょうど管楽器の練習中で、水色の伝統的な洋館をバックに練習できる恵まれた環境が羨ましく思えました。 |
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県立山口高校記念館(旧制山口高等学校講堂)
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次の物件を目指して山口市役所方面に戻ります。山口市民会館前の立体交差式の交差点を左折して直ぐの所に「旧山口電信局舎」が建っています。
よろい戸の窓が目をひく、下見板張り建築では県下でもっとも古い部類に入ると言われているこの建物は、工部省設計の木造2階建て、明治5年(1872)の建設ですから、130年以上現役で頑張っています。
山口郵便局と合併して山口郵便電信局となった時に局長官舎となり、昭和38年に買収され個人の所有になりました。公共建築らしいシンプルなデザインは、欧米建築を日本の職人が見よう見まねで建てた擬洋風建築の特徴が見られ、元の屋根瓦には毛利家家紋が見られたところから旧山口明倫館の建材を流用したものと推測されています。今はクリーム色に塗られていますが、当時は白ペンキの家として有名だったと言う事です。
外壁や窓枠には老朽化が目立ってきていますが、100年以上経っている建物をオリジナルに近い形で維持するには相当な苦労があるのではないでしょうか。
※追記 平成18年6月、国の文化審議会は、末宗家住宅主屋を国の文化財建造物に登録するように文部科学相に答申しました。外壁もお色直しされたみたいです。
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末宗家住宅(旧山口電信局舎)
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山口市役所前を通り県道203号パークロードを渡って進み、一ノ坂川に当った所で左折するとレンガ造りの大きな建物が現れます。これが「クリエイティブ・スペース赤れんが」で、大正7年(1918)に県立山口図書館の書庫として建てられた赤煉瓦造3階建ての建物です。
レンガの積み方は、レンガの長い面と短い面を一段ずつ積んだイギリス積みで一見シンプルな構造ですが、コーニス(軒蛇腹)が施されるなど、良く見ると細部に凝った細工が見られ、レンガ造りの建物としては県内有数の規模です。以前は蔦がからまり趣のある佇まいでした。しかし、図書館が春日山に移転した後は荒廃して取り壊しの計画もありましたが、「赤れんがの会」が中心になって保存・再生運動を展開した結果、平成4年(1992)に山口市所有の「クリエイティブスペース赤れんが」として生まれ変わり現在に至っています。
現在では芸術・文化施設として活用されていて、この建物の前を流れる一ノ坂川は、春は桜、夏はホタルの名所で、周辺では秋には「アートふる山口」、冬には「モミの木モミ−のクリスマスイルミネーションの点灯」など様々なイベントが催され、市民のなじみの深い場所になっています。
※2007年から3ケ年、「NPO法人こどもステーション山口」さんが指定管理者として、管理・運営されています。 |
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クリエイティブ・スペース赤れんが(旧県立山口図書館第2書庫)
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県道204号に出て宮野方面に進みます。公設市場を過ぎた辺りに新聞の販売店が建っていますが、これも資料によると山口県の近代化遺産に指定されていて、大正6年(1917)の建立と言う事です。知らなければ気付かずにそのまま通り過ぎてしまったでしょう。
今回は県道を進みましたが、線路を隔てた向う側に、川土手になった眺めの良い道も通っていますのでそちらを走っても良いでしょう。国道262号の下を潜り少し走り、JR山口線宮野駅前のバス亭前に「旧寺内文庫」が建っています。 |
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新聞の販売店の建物
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宮野地区に向かいます
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「旧寺内文庫」は大正10年(1921)に完成した鉄筋コンクリート2階建ての建物で、元帥で総理大臣も務めた寺内正毅の遺志を継いで、息子の寺内寿一が郷里の邸内に建てた私設の文庫です。昭和25年にこの建物の隣にあった県立女子短大(現山口県立大学)の図書館になり、クラブの部室などを経て現在では空家となっています。
当時としては斬新な大小の立方体を組み合わせたような直線的なデザインは、ヨーロッパの表現派の影響が見られ外部の腰壁のタイル貼りがアクセントになっています。現状は残念ながら放置されていると言ってよい状態で、汚れて黒ずんだ外壁とトタン板で塞がれた窓などがこの建物の周りだけ一種異様な雰囲気を醸し出しています。
このまま廃れてさせてしまうには惜しい建物で、なんとか再利用できないものかと思ってしまいます。 |
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旧寺内文庫
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今来た道を少し戻り、国道262号の下を潜る手前の交差点で県道204号から右に分かれ、県道の一本北側の旧道を走ります。この道は大内氏舘跡に通じる大殿大路と呼ばれた道でかつてのメーンストリートでした。今でも平入り造り格子構え、虫籠(むしこ)窓が設けられた旧商家の形態のまま営業している店舗があったりして、この通りを走っている間だけは近代以前に戻る事ができます。
赤十字病院を過ぎると大殿小学校の北側を通ります。資料では、大殿小学校の体育館も近代化遺産に指定されていましたが、改築されたらしく、それらしい雰囲気はありませんでした。
県道62号下竪小路に当る手前に市指定有形文化財の十朋亭があります。十朋亭は江戸時代後期に建てられ、藩の政庁が萩から山口へ移転したのに伴い、桂小五郎、大村益次郎を初めとする勤皇の志士達が起居していたと伝えられている維新の史跡です。近代化遺産ではありませんが、せっかくの機会ですから(見学無料でもありますし^^;)寄ってみるのもよいでしょう。 |
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大殿大路と県道62号との交差点を左折します。この県道はかつては萩往還と呼ばれた道で、歴史のある和風建築物や神社などが立ち並んでいます。交差点からほんの少し南下すると万代ミシン店があります。元は万代建材店として昭和初期に建てられた木造2階建てのいわゆる看板建築です。看板建築とは商店の2階部分以降が切り立った板状で、その部分に看板の様にモルタルや銅板、タイルなどの装飾が施された商業建築です。表面的には洋風の建物に見えますが中身は和風の建物で、関東大震災以降に盛んに建てられましたが、急速に姿を消しつつあり、貴重な存在です。
以前は建築的にはハリボテ、擬装建築として軽んじられていたそうですが、近年になって評価され始め、国指定の文化財に指定される建物も出てきました。この万代ミシン店も正面から見ると一見洋風ですが、横から見ると和風の2階屋であることが分かります。 |
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万代ミシン店
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