山陽道
山陽町厚狭条里跡-下関市蓮台寺峠
約8.8Km
厚狭条里跡-七日町
鴨橋を通り厚狭川を渡った所で左折し、厚狭川沿いに南下します。JRの高架付近が旧山陽道の渡河地点とされています。旧山陽道は高架の下をくぐります。厚狭駅の南側に出ると道は一直線に西に延びています。この広瀬地区から浴地区までは厚狭の条里遺構だと言われています。条里とは古代律令制時代の土地区画制度で、土地を一辺6町(654m)の正方形に区切り、南北に一条、二条、東西に一里、二里と称し、何条何里と表示しました。昭和58年発行の「歴史の道調査報告書-山陽道」では田園地帯を一直線に伸びている道の写真が載っていて、整然と区画された田畑が条里遺構の痕跡を留めていました。しかし、1999年の山陽新幹線厚狭駅の開業に伴い駅の南側は開発され、道は拡幅され田園地帯は更地になり、住宅や公共施設が建ち始めています。もう数年もするとここが条里遺構だと言う事は想像もつかなくなるでしょう。
この直線的に伸びた山陽道の中間地点から右に外れて250mほど行くと「厚狭の寝太郎伝説」の寝太郎を祭った寝太郎権現社があります。この神社もかつては静かな杜に囲まれていましたが、今では社の周囲はすっかり宅地に造成されていて、その内寝太郎様もゆっくりと寝ていられなくなるでしょう。
桜川を渡り浴地区に入ると道は細くなり、田んぼに囲まれた旧街道らしい趣が出て来ます。少し走り小さい集落の中に入ると、木造の良い感じの酒屋があり、その向こうの小さい石丸橋を渡ります。
石丸橋を過ぎると旧街道は七日町に入ります。厚狭駅前の開発途中の更地が目立つ味気ない風景とはうって変わり、旧街道らしい雰囲気を残す田畑に囲まれた緩やかな坂道を登って行きます。坂を登り切って少し走ると小さな集落を抜けます。資料で一里塚があったとされている辺りに小さな大師堂が建っていますが、一里塚の痕跡は留めていません。坂を下り切った所で道が二手に分かれますが、そこに御影石の追分け道標が立っています。右側の道が山陽道で、左に別れる道は「はぶ道」と呼ばれ、中世の山陽道でした。
道標を過ぎて大正川を渡る手前に、自然石に「幸申」と刻まれた庚申塔が立っていました。
厚狭川の渡河地点付近です
条里遺構の中心を一直線に伸びた道
浴地区に入ると景色が一変します
石丸橋前の木造の酒屋
七日町の一里塚があったとされる所
七日町の追分け道標
長友-石炭(いしずみ)
七日町の道標を過ぎ、広い車道を横切り長友地区に入ります。山野井八幡宮を目指して旧街道を走り、細い川を渡ります。川の手前に新しく広い道が出来ていますが、山陽道は川を渡り山野井八幡宮の前を通る古い方の道です。
山野井八幡の前を通り山すそを廻り込む様に道は走っています。国道2号を渡り山野井地区に入り、民家の間を抜けると景色は旧街道らしくなり、林や田畑の脇を蛇行しながら進みます。少し走ると道はゆるやかな登りになり、小高い所から田畑や後から出来たであろう直線的に石炭地区に向かう道を見下ろしながら進みます。
崩れかかった納屋の横を過ぎた辺りから木立の中に入って行きます。少し行くと道の左側に狭い平地があり、セメント製の祠が建っています。この辺りが山野井のお駕篭立場跡と言われています。以前はもっと広かったと言う事です。
お駕篭立場を過ぎて少し行った所に、ツタが絡まった自然石に猿田彦大神と刻まれた石碑が立っていました。坂を下り、先程見下ろしていた道と合流した辺りからJR山陽本線沿いに走る様になります。田畑と野菊が咲く斜面に挟まれたのどかな田舎道を走りますが、やはりこの様な道は時速10Km以下が似合います。石炭地区に入ると道は二手に分かれますが、山陽道は右に進み踏み切りを渡ります。線路を見下ろす様に少し走り、線路の上に架かっている横断橋を通り元の道に戻ります。しばらく線路を右に見下ろしながら走ると道は右にカーブし、JR山陽本線の福田トンネルの上を横切り線路の右側に出ます。しかし、すぐにカーブミラーが立っている三叉路で左に入り再び線路の左側に戻ります。三叉路を左に入った所から舗装路から地道に変わり、轍のついた道を下って行きます。
今ではJRの線路が走り様子が変わっていますが、かつては寂しい山の中を進む道だったと思われます。地道の坂を下り切った所にある踏切りを渡ると福田地区に入ります。
山野井八幡宮前を通ります
山野井の駕篭立場跡付近
駕篭立場近くの猿田彦大神
石炭地区に入り踏切りを渡ります。
トンネルの上を越えた後に左に曲がります
石炭地区の線路脇の地道を下ります。
福田-蓮台寺峠
石炭の地道を下りきって踏み切りを渡り、県道232号を左折して福田八幡宮の前を通ります。福田八幡宮から250mほど走り左に曲がりながら下っていく辺りにカーブミラーが立っている三叉路があり、道の右側に高さ30cmほどの小さい追分け道標が立っていますが見のがしやすいので注意が必要です。
道標の三叉路を右に入ってからすぐに左折して民家の間の細い道に入ります。(ここで私は左折する細い道を見落として直進してしまい、至る所で倒木が道を塞ぐ険しい山道を苦労して越えてまったく違う所に出てしまいました。地図で調べると下川久保という所で、今さら険しい峠を引き返す気にはなれなかったので、そのまま吉田方面へ走り、反対の吉田側から蓮台寺峠を越えて福田へ戻りました。結局約9Km程遠回りして蓮台寺峠を往復する羽目になってしまい、どんだけ道の時と同じ失敗をしてしまいました。)
民家の間の細い道に入って間もなく民家は途絶えて地道に変わります。ここから峠の頂上までは地道が続き、往時の往還に近い姿をしのぶ事が出来ます。資料では福田の分岐から100m少し行った所に一里塚があったとされていますが、それらしい所はありませんでした。しばらくは車の轍の付いた田んぼ脇の道を走り、ゆっくりと高度を上げて行きます。道端に咲いたヨメナと思われる野菊などを観賞しつつ良く締まった土の道を登って行くと、道は竹林の手前で左に折れます。資料では山陽道は直進するようになっていますが、台風の影響か、倒れた竹が重なり合って道を塞ぎ、とても自転車で進める状況ではありませんでした。
左に折れて切り通しを抜けた辺りから道は荒れ始め、自転車を降りて押して行きます。草は深くなり、所々山の斜面から湧き出た水でぬかるんだ道を、足首まで泥に浸かりながら自転車を抱えて進みます。頂上近くになると田畑は耕作放棄されて荒れ果て、道は所々崩れかかっていて車で峠を越える事は不可能になっていますので、その内この道は廃れてしまうかもしれません。頂上付近は切り通しになっていて、庚申塚と開作記念碑が立っていました。
峠をを越えると道は舗装路になり下関市に入ります。峠を越えて下関市側に入った所に駕篭立場があったとされていますが、その場所を示すものはありませんでした。一軒だけ建っていた民家を過ぎて下って行くと右側に十一面観音を祀ってある蓮台寺がありますが、福田で道を間違えて一時間以上もロスしていたので、寄らずにそのまま下って行きました。小さな石橋を渡って、川久保から下ってくる道と合流する三叉路に高さ40cm程の小さな道標と蓮台寺方面を示す案内が立っています。吉田市(いち)は左に行きます。この蓮台寺峠は吉田側から行ったほうが分かりやすいでしょう。
福田八幡宮前を通ります
蓮台寺峠への分岐にある道標
道標の分岐からすぐの所を左に入ります
道が崩れかかっている所もありました
頂上付近の庚申塔と改修碑
吉田側の蓮台寺への分岐の道標