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小郡宿
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東津橋を渡ります。明治5年に東津橋が完成するまではここに渡し場がありました。現在の橋は昭和54年に掛け替えられています。東津橋を渡った所からが東津通りです。小郡は旧山陽道の本宿でした。この通りは古い商店が立ち並び、格子窓のある古い家も建っていますが、他地区の山陽道と同じく今風の家に建て替りつつあります。将来は狭い道幅以外に旧街道の痕跡を留めなくなるかもしれません。この通りから少し入った所に大内弘世が建立した正福寺があります。
JR山口線の踏み切りを渡ると新丁に入ります。道幅は東津通りよりは広くなり、町並みは若干新しくなります。山陽道から右に数十メートル入った所に昭和57年まで小郡町役場があり、そこは江戸時代は藩主や九州の諸大名が宿泊や休憩に利用した小郡御茶屋と萩藩の代官所であった勘場でした。幕末、高杉晋作が藩を牛耳る俗論派に対してクーデターを起こした時、それに呼応した諸隊の別働隊がここを襲い占拠しました。小郡の大庄屋であった林勇蔵は、その時藩命にそむいてクーデター軍に大金を貸し与え、また近郷の庄屋達を説得し農兵部隊を組織したり、大田、絵堂の激戦地に物資、兵糧を命がけで輸送する等クーデター軍を支援し、長州の明治維新実現に重要な役割を果しました。
新丁の西側の十字路は山陽道と山口道の追分(分岐点)で狭い緑地に道標が建っています。道標の十字路を左に曲がると津市通りです。道路の左側に以前は小郡銀行(現山口銀行)本店がありました。明治の代表的な建築家辰野金吾の設計で、木造、西欧のネオ・ルネッサンス様式を引き継いだもの、と記録にはありますが現在は残念ながら取り壊されたらしく、どこにあるか分りませんでした。この辺りは旅人宿などがあり、宿場としてもっとも栄えた通りでしたが、今では裏通りといった趣きで、旧街道の痕跡はあまりありません。
国道9号を渡った所に三原屋本陣が建っていました。三原屋本陣は、長州藩が馬関海峡で外国船を砲撃した事を詰問するための幕府の使者中根市之丞ら一行が、長州の諸隊によって襲撃され三名が殺害された三原屋襲撃事件があった場所です。今では駐車場になっています。
国道9号を渡ると明治町です。初めの200m程は道が狭く旧街道の雰囲気を僅かに残しています。小郡警察署の前を通るこの道は今では普通の裏通りといった趣きですが、昭和10年代までは往還松が立ちならんで旧街道の景観を良く残していました。
山手バイパスを渡って少し走ると道は小郡の町を抜けて国道9号に合流します。 |
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橋を渡り東津に入ります
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小郡御茶屋、勘場跡
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新丁の町並み
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新丁の道標
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津市通り
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三原屋本陣跡
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小郡-嘉川市(いち)
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国道9号を通り新幹線の下をくぐります。400m程走り山口市に入る手前で旧街道は左に分かれ、再び道幅は2-3m程になります。この辺りは新開と呼ばれる地区ですが、昔は道路の右側(国道側)だけに家が建っていて「片新開」とか「柏崎の片新開」などと言われていました。現在は両側に家が建っています。この道を走っていると、小学生ぐらいの子供に「こんにちは。」と何度か声をかけられました。私の折り畳み自転車を見て「いいですね。」と言ってくれた女の子もいました。みんな良い子だなぁ(笑)こういう楽しい触れ合いも旧道を走る楽しみの一つです。
道はJR山陽本線と宇部線の踏み切りを渡り、小郡開作を雨乞山に向かって南に走ります。道は国道2号の手前で右にカーブして緩い峠を登ります。この峠が「荒神峠」で、昔左側の林のなかに荒神社がありました。今は「大才社」が林の中に建っています。この大才社は周囲を木で囲まれ、なかなか良い雰囲気です。
峠を登り切り小山の腰に沿って進むとJR宇部線の上を渡ります。この辺りに一里塚があったと言いますが、今ではどこにあったかは分りません。線路の上を越えると格子と土蔵の家が出てきて、にわかに旧街道の雰囲気が出てきます。この辺りは昔は新市と呼ばれ、嘉川市(いち)が東に延びて出来た町場です。坂を下り切った所で右折してJR山陽本線の踏み切りを渡ると嘉川市に入ります。
嘉川市は半宿で、古代の駅でもありました。この通りは比較的旧街道の面影を留めていて、通りの所々に市えびす社や格子の家、古い商店、木造の建築物などが立ち並んでいます。少し走ると道は国道9号と交叉します。 |
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新開の旧道
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雨乞山に向かいます
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荒神峠の大才社
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嘉川市(いち)手前、新市の旧道
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嘉川市(いち)の町並み
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嘉川市(いち)-割木松
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国道9号を渡り福岡地区に入ります。この辺りの山陽道は国道のすぐ傍を国道を縫うように走る事になります。再び国道を渡りJR嘉川駅前に向かって進みます。この辺りは嘉川市(いち)ほど民家は密集していません。嘉川公民館の脇に三体の石仏が立っていました。赤れんがの囲いと古いランタンのレトロモダンな雰囲気が、石仏と意外とマッチしています。それぞれ正徳三年(1713)、寛政八年(1796)、天明九年(1789)と刻まれた古い石仏です。JR嘉川駅前を過ぎて少し行くと、幸之江橋を渡ります。橋を渡った所の民家の角に追分道標が立っています。「あしす、とこなみ、中の村」と刻まれていて、ここから佐山、阿知須を経て宇部に向かう海岸通りの道が分岐しています。
幸之江川を渡ると、間もなく国道9号から、阿知須、宇部方面に向かう国道190号に接続する三叉路を通過して高根地区を進みます。旧道に入るとすぐに熊野神社前を通過し、しばらく県道335号と併走します。この辺りは道沿いに軒の低い民家と田畑がならぶ何の変哲も無い田舎道ですが、走っていると、所々に「天満宮」と刻まれた道標や、神社の常夜灯などが現われて、この道が旧街道だと言う事を教えてくれます。
そのうち道は国道2号と交叉し、新幹線の下をくぐって割木松峠の登りにさしかかります。峠の手前に一里塚がありましたが、今ではその場所は不明です。山陽道は国道2号を縫うように峠を登って行きますが、広く交通量の多い国道を度々渡るのは大変なので国道沿いの歩道をそのまま走ります。頂上付近の食べ物屋の前に花崗岩製の石柱に「東、周防国吉敷郡、西、長門国厚狭郡」と刻まれた江戸時代の郡境碑が今でも立っています。
この先から宇部市に入ります。 |
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福岡地区
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嘉川公民館横の石仏
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幸之江川の道標
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高根の常夜灯前
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割木松の登り
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割木松の郡境碑
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