山陽道
岩国市両国橋-岩国市御庄の渡し
約5.9m
両国橋-小瀬峠
 広島県と山口県の県境を流れる小瀬川にかかる両国橋の中央部が山口県の山陽道の起点になります。両国橋を渡り、左折して200m程走った所が小瀬の渡り場跡です。大正六年に両国橋が架けられるまではこの場所が渡河地点でした。幕末の四境の役(第ニ次長州征伐)の芸州口の戦いでは、小瀬川を挟んで幕府軍と長州軍が対峙し、激しい戦闘が繰り広げられ、この辺りも甚大な被害を受けました。
三叉路の角に山陽道の説明板と吉田松陰歌碑が建っていて目印になります。この歌碑には、安政六年に吉田松陰が江戸に護送される途中に故郷と訣別して小瀬川を渡る時の心境を詠んだ歌が刻まれています。山陽道はこの三叉路を右折し、ゆるい登りに入ります。角を右折するとすぐに、往時は一里塚番所、舟渡札場と並んで建っていましたが、今では正確な位置は分りません。道沿いにわずかに残された平入り格子窓の旧家と往事のままの道幅以外には、旧街道を彷佛とさせる物は残されていませんでした。小瀬の集落は小さいものの、岩国藩の玄関口として密輸や旅人の出入りを取り締まる為の関所の役目を果たし重要視されていました。
道は小瀬の集落を抜けて小瀬峠へと高度をあげて行きます。山道は鋪装されているものの部分的にすれ違いも困難な程に細くなっており、車の通行量も多い為注意が必要です。登りに入って数百メートル程走ると道の右側に小瀬の関門跡が出て来ます。ここは通行人の検問をしていた所で、幕末には幕府軍の進攻にそなえて砲台も築かれていました。今では廃れた養豚舎が建ってるだけです。
関門跡を過ぎると道はすぐに右に大きくヘアピンカーブしますが、カーブの途中に旧山陽道の案内柱が立っていて土の旧道へ入れます。交通量の多い県道を離れて地道に入り一息つきますが、わずか200m程で再び県道に合流してしまいます。県道をしばらく登って行くと旧山陽道の案内柱があり、小瀬峠に到達します。峠付近には駕篭立場茶屋があったとされていますが、それらしき場所は分りませんでした。
峠を越えて車に注意しながら狭い道をゆっくりと下って行きます。
吉田松陰歌碑
「夢路にもかへらぬ関を打ち越えて今をかぎりと渡る小瀬川」-夢でも帰る事の出来ない関戸を越えて、これが最後と思いながら小瀬川を渡る。
両国橋から山口県に入ります
小瀬の渡し跡付近
小瀬の町並みを往きます
小瀬の関門跡
登りの途中から旧道に入ります
小瀬峠付近の旧道
関戸宿
 資料では旧道は小瀬峠から谷筋に沿って直線的に下って行きますが、今では草木が繁って分らなくなっていますので、舗装路(旧県道1号)をそのまま下ります。峠を下り関戸地区に入る手前に旧山陽道の入り口を示す案内柱が立っていたので入ってみました。旧県道から投棄されたとおぼしきゴミが散乱し、枯れて倒れた竹が道を幾重にも塞いでいて、お世辞にも楽しい道とは言えませんでした。道はしばらく手入れされた様子が無くすぐに途切れてしまいました。私がこの道を通ったのは草木の枯れている時期なのでかろうじて進めましたが、草木が繁殖する夏期ではとても進めなかったでしょう。
峠を下りきった所が関戸宿です。関戸の地名は古来からこの地に関所が置かれていた事に由来し、山陽道と、岩国と萩城下を結ぶ石州街道が交わる交通の要衝として宿が設置されました。古代律令制時代の「石国駅家(うまや)」が置かれていた事も分っています。
関戸宿に入り少し走ると、道沿いに崩れかかった土塀の一部が立っていますが、これが関戸本陣跡で建物は解体されてありませんでした。この土塀の横の公民館前に吉田松陰東遊記念碑と旧山陽道の説明板が立っています。道を挟んだ向い側には庄屋がありました。関戸宿は、岩国の沿岸部を迂回する国道2号が開通し主要ルートから外れた為に、往時の宿場の面影をわずかながら留めています。
関戸宿の外れの国道2号と合流する追分辺りに高札場があったとされていますが、今ではその痕跡は留めていません。山陽道は関戸の交差点を右折して国道2号に合流します。
関戸宿からの旧山陽道
旧道は荒れて途切れています
関戸宿本陣跡
庄屋があった辺り
関戸宿の町並み
高札場があったとされている所
関戸-多田(御庄の渡し)
 関戸宿から右折し、国道2号を錦川沿いに多田地区に向かいます。山陽道と石州街道は関戸交差点で合流し、多田までの約1kmの間重複しています。
山陽自動車道の下をくぐって少し走ると多田地区に入ります。古市の交差点が追分で、石州街道は右に分かれ松尾峠を越えて萩へと向かいます。古市は二つの街道の分岐点に開けた市町で、古い町並みは石州街道沿いの方に見る事が出来ます。多田地区の山陽道が、国道2号となりかつての面影をほとんど留めていないのと比較して、石州街道は国道2号から別れ県道59号に合流するまでの間道幅も狭くなり、道沿いに常夜燈や鳥居が並び旧街道らしい佇まいを残しています。多田一里塚はニ街道の追分け地点にあったとされていますが、今ではその位置を特定出来るものはありません。
山陽道は山裾を迂回する様に国道2号を南西に進みます。資料では山陽自動車道岩国IC手前に旧多田庄屋屋敷が建っていたとされていますが、それらしき場所は分りませんでした。岩国IC入り口付近にコンビニがありますが、ここから欽明路峠を超えるまでは山陽道沿いに食料を補給出来る店はほとんどありませんので、必要な物は御庄大橋を渡るまでに買っておいた方が良いでしょう。
岩国IC入り口を過ぎると、本庄八幡宮の所で国道2号は大きく右にカーブしていますが、山陽道はそのまま直進し御庄大橋を渡ります。関戸から御庄大橋までは国道2号として道も拡幅され、旧街道を彷佛とさせる史跡もほとんど残されておらず、往時をしのぶ事は難しくなっています。
御庄の渡り場は現在御庄大橋が架かっている付近にあったとされ、山口県の山陽道内では最大の渡り場でした。当時は竹林の中を抜けて河原に降りて行きましたが、現在も河原付近には竹が鬱蒼と繁った場所が川の両岸に残されています。御庄大橋を渡り御庄地区に入ります。
関戸から多田へ
多田一里塚があったと思われる場所
多田古市の常夜燈と鳥居
本庄八幡宮
御庄の渡し付近の竹林
御庄の渡し付近