山陽道
下松市久保-下松市花岡
約4.9Km
久保市(いち)-塩売峠(しおりがたお)
 JR岩徳線周防久保駅前の旧道はすぐに国道2号に合流します。少しの間国道を走り、JR岩徳線のガードを潜って300m程走った所で国道とは左に分かれます。切戸川を渡った所に由加神社が祀られています。写真には良く写っていませんが、イチョウの大木の紅葉が見事でした。
由加神社を過ぎた辺りから久保市(いち)に入ります。久保市は山の谷あいのくぼ地に出来た市(いち)町である事から窪(くぼ)市、久保市と呼ばれる様になったと言う事です。今では旧道沿いの小さな集落にすぎませんが、妻入り土蔵造り、格子構えの旧家が現存していて僅かに往時の趣を残しています。JAの支所を過ぎた所に市町には付き物の戎様が祀られていて、そこから道は二股に分かれています。旧街道は右側の細い坂道を登ります。坂の途中に西蓮寺があり、その前に「小林武作君之碑」が建っています。小林氏は明治時代に米の品種改良に尽力した篤農家です。
坂を登り切った所に市戎が祀られていて、この辺りから岡市(いち)になります。一里塚もあったとされていますが、今では痕跡は留めていません。くぼ地の久保市から丘に登った所なので岡市と呼ばれる様になったとされています。久保市と違って民家もまばらでかつての市(いち)町の面影はまったくありませんが、街道沿いの立派なお屋敷の破風に施された鏝絵(こてえ)は見事で一見の価値があります。
すぐに民家が途絶えて道は下り始めますが、ここが塩売峠(しおりがたお)で駕篭建場があったとされています。塩売峠は汐入峠とも言われ、かつてはこの辺りまで海が入り込んでいたのではないかと言われています。往時は寂しい山道でしたが、今では国道と近接しており側道といった趣です。
国道から久保地区旧道へ
由加神社
久保市の町並み
久保市戎前からの坂道
岡市
塩売峠(しおりがたお)
生野屋(いくのや)
 塩売峠を下り久保中学校横を過ぎると道は新興住宅街を抜けます。久保から生野屋にかけての旧山陽道は往事は細々とした山道でしたが、今では団地が造成され、国道の裏道として休憩専門のホテルなども出来たりして、かつての面影を感じる事が困難になっています。
道は一旦国道2号に合流します。その手前で生野屋地区に入ますが、わずかながら往事の街道を彷佛とさせる道が残っています。その内増殖する新興住宅地に呑み込まれてしまうかもしれません。旧街道は国道に合流してからすぐに左に分かれます。少し走って国道と交差する所に一体の献燈が建っています。これは慶応四年(1868)の戊辰戦争の時に建立されたものですが、元は国道付近にあったものが拡幅工事の時に旧街道脇に移動された、と地元の御老人に教えていただきました。
旧街道は国道とJR岩徳山線を渡った所で左折して花岡地区へと向かいますが、一旦旧街道を離れて住宅街の中の細い道を登って行くと、山田地区との境界辺りに松尾八幡宮と多聞院があります。多聞院は周南七福神の内の毘沙門天を祀っていて、県指定有形文化財の「星宿図」と呼ばれている須弥山図が納められています。境内は狭いものの建物と共に綺麗に整備されていて、地域の人々の信仰心の厚さが感じられます。
旧街道に戻り西に向かいます。国道の北側に横断した所から道は拡幅され、スーパーやドラッグストアなどが立ち並びにわかに賑やかになり旧街道の趣を無くします。生野屋には古代の宿場に相当する駅家が置かれていたとされていますが、どの辺りにあったかはわかりません。道は教応寺を過ぎた所で二手に分かれますが、旧街道は右側を行きます。教応寺を過ぎた辺りから若干旧街道らしさを取り戻し、少し進んだ所から末武上地区に入ります。
団地が出来ています
往事の面影を残す旧街道
国道手前の献燈
多聞院
教応寺前を直進
生野屋地区西端あたり
花岡市(いち)
 末武上に入って旧街道を進むと道の右側、幼稚園の横に花岡勘場跡の石碑がひっそりと建っています。石碑の横には、勘場の屋敷内に植えられていた立派なシンパクが今でも立っています。花岡には山陽道の宿場が置かれ、都濃宰判の勘場、御茶屋番所高札場などが立ち並び政治文化の中心地として栄えました。
勘場跡を過ぎて小川を渡ると花岡市(いち)に入ります。間もなく道の右側に法静寺が出てきますが、ここは御茶屋にも近く諸大名の宿舎としても使用されました。同じ境内に「狐の嫁入り」で有名な福徳稲荷もあります。
法静寺を過ぎた辺りから花岡八幡宮参道までの短い間は、格子窓、漆喰塗りの白壁の民家や、立派な金看板を掲げた江戸時代から営業している入母屋妻入り造りの酒造場などが並び、旧街道の面影をわずかながら残しています。旧街道から右に折れて花岡八幡宮の参道に入って進んで行くと、石段近くの右側に花岡市の繁栄を願った恵比須社が祀られていて、その奥に花岡八幡宮の社房の一つである閼伽井坊(あかいぼう)があります。閼伽とは仏教用語で仏様に供える水の事をさし、閼伽井はその水を汲む井戸の事で、閼伽井坊の中にあります。
閼伽井坊と参道をはさんだ向い側に広場があり公園として整備されていますが、ここにかつては八幡宮社房の一つであった地蔵院がありました。地蔵院は明治ニ年に住職が還俗したために廃寺になったと資料にはありますが、おそらく廃仏毀釈の為と思われます。
花岡八幡宮の石段を登り切った見晴しの良い所に高さ13m余りの国指定重要文化財の多宝塔が建っています。この多宝塔は元は地蔵院に属していましたが、地蔵院が廃寺になった為に今では閼伽井坊に属しています。建立は室町時代と思われますが、地蔵院の火災で古文書が消失し詳しい事が分らなくなっています。
再び旧街道に戻り西に進みますが、花岡八幡宮参道を過ぎた辺りからは旧街道の趣きが無くなり、普通の町並みに戻ってしまいます。
花岡宿勘場跡
法静寺と福徳稲荷
酒造場の金看板
花岡市の町並み
閼伽井坊
国重文の多宝塔