街道用語豆知識集
「歴史の道を往く」に出てくる歴史的な用語を解説しています。旧街道の旅のお供にしていただければ幸いです。
いち
特定の場所と時間に生産者と消費者が集合して行なう交易の形態。市には種々の祭神を祀る場合が多い。中世からは、全国各地の寺社門前、港、宿駅などの人が集まる所で定期的に行なわれる斎市が主流になった。近世になると、店鋪商業の発達に伴い次第に衰退していったが、歳の市など近世まで続いたものもある。
大道市跡
市頭
いちがしら
十字路の角、市の入り口などの販売に有利な場所。市場の責任者の事も指す。市の出口は市尻と呼ばれる。
玖珂市(いち)の市頭だった所
一里塚
いちりづか
街道脇に一里(約4km)ごとに築かれた塚。塚の上には榎や松などの樹木が植えられていて、旅人が休息できる様にも配慮されていた。
本格的に設置されたのは江戸時代で、旅人の便、運賃決定の目安などに使われた。近世後期になり、道路拡張、路線変更、戦略的見地などから、ほとんどの一里塚は姿を消した。
秋穂街道の一里塚跡。塚の上に立っていた木は無く、切り株だけが残っていた。
駅、駅家
えき、うまや、えきか
古代律令制時代の駅伝制度の一つで、中央政府の命令を地方に伝えたり、地方の情報を収集する為の使者(駅使)の宿泊、食料供給の為の公的施設。
主要道の約16kmごとに置かれ、特に大宰府と都を結ぶ山陽道は、重要視された。
戎、恵比須
えびす
生業を守護し福利をもたらす神として、民間信仰の中で広く受け入れられている心霊。
鯛と釣り竿を持っている姿から分る様に、古くから海浜に祀られ、漁師が大漁を祈って祀っていたが、海産物の売買を通じて、市の神、商売繁昌の神として広く信仰される様になった。
嘉川市(いち)のえびす社
追分
おいわけ
幹線街道から支線街道への分岐点を指す。追分は旅人の休息地として利用される事も多く、茶屋などが設置される事もあり、商業や流通の拠点になることもあった。
往還
おうかん、おうげん
交通を意味する言葉。江戸時代には道路の意味でも使われ、五街道、および、それに付属する主要道を指した。
往還松
おうかんまつ
江戸時代、幕府および諸藩は、主要街道の両側に松や杉などの樹木を植え、積極的に保護育成した。
夏の緑陰、冬の積雪防止に果たす役割は大きかったが、近代になって、路線変更や道路の拡幅に伴い、また、地域住民が田畑の陰になる事を嫌って切り倒したりして、その数は激減した。
美東町指定文化財大田往還道松
大歳社、大才社
おおとししゃ
歳とは穀を意味し、また、収穫を得るのに必要な四季の一巡を意味する。五穀を守護し、また家の安全、幸福を守護する大歳神を祀る神社。
宇部市どんだけ道の大歳社
御米蔵
おこめぐら、ごまいぐら
幕府が、年貢米や大豆などを収納しておいた穀倉。全国の幕領にあったが、のちに江戸浅草、大坂、京都に集中され、三御蔵と呼ばれた。
御米蔵はおおむね全国の各村にも置かれ、その出納は庄屋の厳重な責任のもとに行なわれた。
御旅所
おたびしょ
神社の祭礼の時、本社より出た神輿が仮にとどまる所。仮の場所のみの所から、豪華な建物がある場合や、また他社を借りる場合もあり、その数も一カ所のみとは限られていない。
秋穂正八幡宮のお旅所
御茶屋、茶屋
おちゃや、ちゃや
茶を接待する為の一種の茶店。街道筋の立場茶屋などは旅人の宿屋を兼ねる事もあった。
長州藩などでは、藩主の参勤交代道中や、藩内巡回の便宜をはかる公的な宿泊施設の事を御茶屋と言い、勘場と併設されていた。特に山陽道筋の御茶屋は、幕府の役人や九州諸大名の参勤交代の通行時に利用される、外交上の重要な施設であった。
吉田市(いち)の御茶屋、勘場跡
街道
かいどう
国中に通じる官道、または主要な陸路。大和朝廷時代にはすでに山陽道、東海道、南海道が開かれていたとされる。
古代律令制時代には京と太宰府を結ぶ山陽道が最も重視されたが、鎌倉幕府成立後は京と鎌倉を結ぶ東海道が重要視され、山陽道は海路の発達などもあり衰微した。
江戸時代になると、江戸を中心とする五街道(東海道、中山道、日光道中、奥州道中、甲州道中)が幕府の直轄に置かれ、山陽道は脇街道として整備された。
鍵の手、鉤の手
かいのて、かぎのて
枡型(ますがた)とも呼ばれ、防衛の手段として、敵が一気に攻め込み難くする為に、また、敵を追い詰め易くするために宿や城下町の入り口や通りを直角に曲げたもの。
山口県では萩市平安古町の鍵曲がり(かいまがり)が有名。
防府市宮市(みやいち)の鍵の手
観音堂
かんのんどう
「常に大慈悲をもって、十万の諸国にその身を現わし、人の南無観世音というその名を称す音声を感じて、すべて解脱を得さしむる」という観世音菩薩を本尊として安置する堂宇で、中世以降広く衆庶の信仰を集め、各地に建立された。
勘場
かんば
萩藩は宰判ごとに代官以下、地方行政担当の諸役を任命し、その執務の役所を勘場とよんだ。また代官所という。
都濃宰判花岡勘場の復元図
熊野神社
くまのじんじゃ
熊野三山を中心とする熊野の地は、古くから神秘の地と見られ、院政時代(1086-1192)より流行し、法皇も御幸、修行した。
白河上皇以来、歴代天皇の御幸、貴族の参詣により飛躍的に発展し、江戸時代には、その豊富な資金力で諸大名に金融貸付をすると共に、庶民に対する熱心な布教活動により、東北から沖縄まで広く熊野神社が勧請され、全国的な信仰となった。
山口市高根地区の熊野神社
高札、高札場
こうさつ、こうさつば
立札とも呼ばれ、法令伝達の一形式で、法度、掟、禁制を板面に墨書きしたもの。古代より行なわれていたが、江戸時代に発達した。
高札を掲示する所を高札場といい、都市や町村の要衝に設置した。
庚申塚
こうしんづか
庚申とは干支の「かのえさる」の事で六十日に一度回ってくる。人の体には三尸(さんし)と呼ばれる三匹の虫が棲んでいて、庚申の夜に人が眠ると体から抜けて天に登り、天帝にその人の悪事を報告するとされた。
人が起きている間は三尸は抜け出る事は出来ないので、人は庚申の夜に集まり、徹夜で起きていた。この庚申待を三年、十八回連続して行なうと三尸虫は衰退し役目を果たせなくなると信じられていて、庚申塚、庚申塔はこうした折に建てられる事が多かった。
寝太郎神社の庚申塚
荒神
こうじん
三宝荒神の略で、仏、宝、僧の三宝を守るという神。また、民間でかまどを守る神として、三宝荒神と混同され、防火の神、のちに農業の神として、かまどの上に棚を作りまつられた。
近畿以西では魔除けとして、屋敷神、同族神、部落鎮守としても信仰された。
防府市古祖原地区の荒神社
国衙
こくが
古代律令制時代に国司が政務をとった役所。国衙領の事。在庁官人。
防府市の国衙跡
国府
こくふ
国衙の所在地。国内で最も交通の便宜な場所に位置した。正方形で中央幹線路および、一町ごとの基盤目型の通路によって区画されていて、近くに国分寺などが建てられていた。
国分寺
こくぶんじ
聖武天皇が天平十三年(741)の詔で諸国に造営させた官寺。四天王をはじめとする諸天善神による国家鎮護・鎮災致福の教説を含んだ金光明最勝王経の信仰によって、国家的精神統一をするために各国に創建されたもの。
防府の国分寺
護国神社
ごこくじんじゃ
国事および戦争殉難者の霊を祀った神社。昭和十四年(1939)に従来の招魂社を改称したもの。
山口市秋穂二島の旭山護国神社
鏝絵
こてえ
漆喰を塗った上にコテを使って浮き彫りの様に風景や肖像などを描き出した絵。江戸時代中期から流行し、土蔵や家屋の妻や外壁に施された。次第に家内の壁や欄間などにも彩色された漆喰浮き彫りが施される様になった。
宰判
さいばん
裁判とも書き、江戸時代、長州藩の地方行政区画。初期に地方を区画して代官を派駐したのが始まりで、慶安四年(1651)には十八宰判になった。
猿田彦
さるだひこ
猿田彦大神は天孫降臨の時に道案内した国津神で一般に道の神、旅人の神として祀られている。修験道が盛んになると、狗(てんぐ)の神様ともみなされるようになった。
山野井の猿田彦大神
三界万霊塔
さんがいばんれいとう
この世に存在する一切の霊(万霊)を多くの人に供養してもらう事を願って、寺院の入り口や路傍に建てられた。三界とは生命あるものが住む三つの世界、欲界、色界、無色界のことである。
宇部市山中下市(いち)入り口の三界万霊塔と庚申塔
参勤交代
さんきんこうたい
江戸幕府が課した大名軍役の一つで、大名を原則一年交代で江戸と領国に住まわせ、大名の妻子をはじめ多数の家臣を江戸に常駐させた。
1635年の武家諸法度により制度化され、毎年四月が交代時期と決められていた。
これにより、大名の財政が困窮し勢力を弱める結果になった反面、江戸が各国の大名が集結する大消費都市として発展する事になった。
宿場町
しゅくばまち
近世、五街道および脇往還に駅伝事務を行なう為に設けられた町場。本陣、脇本陣、問屋場などの施設を中心に、人馬継立、旅人の休息、宿泊、交易機能を果たした。五街道などの主要街道は道中奉行の管轄下におかれ、幕府の保護助成が加えられた。
船木宿跡
常夜灯
じょうやとう
神仏を供養する為に、昼夜ともし続けられている灯明。
防府市春日宮の常夜灯
庄屋
しょうや
江戸時代、一村の長。主に関西での呼称で、関東では名主。村内の治安、勧農、水利土木、年貢取立、祭礼などの村役全般をつかさどり、村外、領主などの折衝にあたった。
条里
じょうり
古代の土地区画の単位。土地を一辺六町(654m)の正方形に区切り、三十六坪よりなる方六町を里とし、これを連ねたものが条となる。班田制実施に便利であった。畿内を中心に、全国に遺制が残っている。
関所
せきしょ
交通の要衝や国境に設けて、戦時は防衛に使用し、平常時は通行者や貨物の通行を検査する門。江戸時代には百姓一揆の鎮圧などの治安警察的性格も持つ様になった。
立場、駕篭建場
たてば、かごたてば
江戸時代、旅人、駕篭、人足、伝馬などが休息した場所。
駕篭建場は藩主や諸大名の参勤交代や幕府上使の通行に、概して見晴しの良い地点に駕篭をおろして休息する場所と施設。道路からやや小高くした芝地に駕篭を置くようにし、近くに便所を設けた程度であった。
浮野峠の駕篭立場跡
多宝塔
たほうとう
円筒形の塔身に方形の屋根を載せ頂上に相輪を立てた一重の塔を宝塔と言い、この形に方形の裳階(もこし-軒下に設けられた一種の庇)をかけて二重の塔形にしたものを多宝塔と言う。本来は塔内に釈迦、多宝のニ如来を安置する。
花岡八幡宮の国重文の多宝塔
寺子屋
てらこや
江戸時代の庶民の教育機関の名称。はじめに寺院につくられたのが名称の由来になった。
天下御物送り番所
てんかおものおくりばんしょ 公用状、公用荷物輸送の指揮、監督に当り、防長両国内では山陽道筋のみに設けられていた。
天満宮
てんまんぐう
菅原道真を祀る神社。菅原道真は文学の神、詩文の神、書道の神として崇敬された。また中世以降は正直の神、至誠の神としても信仰された。
一方、京の北野天満宮は、古来より農業に関連した雷人を祀る祭場であった事から、早くから天神、火雷天神と呼ばれ農業と結び付けて信仰され、各地に勧請された。
防府天満宮
廃仏毀釈
はいぶつきしゃく
明治初年、新政府の神道国教化政策に基づいておこった仏教廃止運動。寺院、仏像、仏具などの破壊が各地で行なわれ、僧侶は還俗させられた。
萩往還
はぎおうかん
山口県萩市から旭村、山口市を経て防府市に至る、中国山地越えの52.75kmの街道。大内氏時代にはすでに整備されていた。
萩往還は当初、脇街道であった山陽道のさらに脇街道で「萩道」と呼ばれていたが、毛利氏が関ヶ原の戦いに敗れ、へき地である萩での築城を余儀無くされてから、政治的重要交通路としての性格を持つ様になった。その為「萩道」は大道とされ、「萩往還」と呼ばれる様になった。
八幡宮
はちまんぐう
八幡神を祭神とする神社。源氏の信仰を受け、武人の守護神として全国に広まった。
船木市(いち)の岡崎八幡宮
半宿
はんじゅく
本宿と本宿の間の中継地として、旅人に対して休息の便宜を図ったり、人足や馬を用意して、次の宿駅まで継ぎ送りする役目を果たしていた。
防府市浮野半宿の説明板
番所
ばんしょ
江戸時代に交通の要所に設置して、船舶や通行人を検閲、監視し、あるいは税を徴集した番人の詰め所。関所に準ずる施設で、諸藩や幕府によって設置された。関所を番所と称した所もあった。
本陣、脇本陣
ほんじん、わきほんじん
大名宿とも呼んだ。江戸時代、街道の宿場に置かれた勅使、大名、公家など貴人が宿泊した大旅籠。とくに参勤交代の往復にその役割を発揮した。
御茶屋が公営の本陣であるのに対し、町本陣は宿場内の最も家作の優れた富裕の民家を特に認定し、酒造業者、富商、庄屋宅などを当てる場合が多かった。
本陣が空いていない時や、本陣に入り切らない家臣は脇本陣を利用した。これは本陣に準じるが、通常は旅籠として利用された。
防府市宮市の本陣兄部家
目代
もくだい
古代においては国守の代理として留守所に派遣された私設の代官を指した。近世以降萩藩においては、目代はもっぱら駅逓(えきてい-宿駅から宿駅まで人や荷物などを送る事)の事をつかさどる地下役として宰判内各駅に目代各一人が置かれ(目代所を設る場合もあった)、人馬駕篭などの準備や用達をなし、その賃銭の徴収するなどの任にあたった。
薬師堂
やくしどう
薬師如来は十二誓願の中に、衆生の病気を除き、安楽に菩提を得さしめる、とある事から、医薬をつかさどり、万病を治す仏として多くの信仰を集めた。現世利益の仏として、お寺の堂宇とは別に薬師堂が建てられ、今も盛んに信仰されている。
宇部市瓜生野の薬師堂
遥拝所
ようはいしょ
遠く離れた所から神仏などをはるかに拝むために設けられた場所。
幕末長州藩は、城を萩から山口へ移し尊王攘夷を進めたため、多くの密偵が山口に潜入した。そのため長州藩は防府勝坂と小郡柳井田に関門を設けて他国人の山口入りを禁じた。
山口高領大神宮は古くから他国人の参拝が多く有ったので、防府大道と小郡山手に遥拝所を設置して便宜を図った。写真は小郡の遥拝所。
渡し、渡し場
わたし、わたしば
河川、湖沼を通行する為の渡し船の発着地。江戸時代には、幕府は軍事上の理由から主要河川に橋を架ける事を許さず、定められた場所以外の渡河を禁じた。
宇部市二俣瀬の渡し場跡
参考文献
近世史用語辞典 村上 直編 新人物往来社
日本史用語大辞典 日本史用語大辞典編集委員会編 柏書房株式会社
日本大百科全書 渡辺 静夫編著 小学館
防長歴史用語辞典 石川卓美著 マツノ書店
歴史の道調査報告書-山陽道  山口県教育委員会 山口県
歴史の道「萩往還」保存整備事業報告書 山口市教育委員会
日本の近世 中央公論社
石仏巡り入門 見方・愉しみ方 日本石仏協会編 大法輪閣
その他、各地域の観光パンフレット、山口県内各地の教育委員会や郷土史愛好会が史跡に設置している説明看板などを参考にさせてもらいました。