山陽道
周南市夜市-防府市椿峠
約9.3Km
夜市川-矢地市(いち)
 福川市(いち)を出て県道347号を渡ります。JR山陽本線の手前に、全国六十六カ国を廻り法華経を納めて歩く行脚僧である六十六部の碑が建っています。踏切りを渡り線路沿いに西に進み小規模な集落を抜けると夜市川に架かる御姫橋のたもとに出ます。
ここから北を望むと若山城趾が遠望できます。若山城は室町時代に陶氏が築いた城で、陶晴賢はここから出陣し主君である大内義隆を攻め滅ぼしました。しかし、陶氏も毛利元就に滅ぼされ、城も毛利氏によって破却されましたので、近世の山陽道が整備された頃にはこの山城はすでにありませんでした。この若山城趾へ登る道は「 陶の道・若山城登城のみち」として「美しい日本の歩きたくなるみち500選」に選ばれています。
旧街道は御姫橋を渡らずに右折し、夜市川沿いに進みます。この辺りから道は市街地を抜けて川と田畑に挟まれたのどかな川土手を進みます。資料では山陽自動車道の高架の下辺りに若山観音の道標があったとされていますが、今ではどこかに移動されたらしく見当たりませんでした。この高架を過ぎると再び旧徳山市域に入ります。
しばらく夜市川沿いに進みます。夜市川と的場川が合流する辺りに一里塚がありましたが、やはりここも痕跡は残っていませんでした。JR戸田駅の手前で右折して夜市川を離れ、踏切と国道2号を横断して山裾の集落を目指します。田畑の間の道を進んでいくと道は立派なお屋敷に当たり、直角に左に折れます。この辺りが矢地市(いち)の市頭です。旧街道は山裾を西進しますが、町並みは何の変哲も無い田舎の集落といった感じで、市町として栄えた面影はほとんど感じられません。
高札場は市(いち)の中央部にあったとされ、この辺りから道幅は若干狭くなり赤坂峠の登りに入ります。
福川の六十六部碑
若山城趾
夜市川沿いの一里塚付近
夜市川から右に分かれます
矢地市(いち)の市頭
矢地市の高札場跡付近
赤坂峠-戸田市(いち)
 赤坂峠は標高にすれば100mにみたない峠ですが、玖珂郡の中山峠以来の久しぶりの峠らしい峠でしたから結構足にこたえました。普通のサイクリングならは自転車を降りずに登りきる所ですが、旧街道巡りでは無理をせずに押して、久しぶりの旧街道の山道をゆっくりと楽しみます。
峠の頂上は周南市の総合グラウンドがあり、矢地村と戸田村の境界になっていました。峠を少し下った辺りに駕篭建場がありました。資料に示してあった場所からもう少し下った所に見晴しの良い場所がありましたが、もしかするとそこが本当の駕篭建場だったのかもしれません。
坂を下りきり岡村の集落に入って少し走った所に船山神社があり、そこにいかり石が一個だけ残されています。この辺りが船型の平旦な丘状の地形であった為に船山と名付けられ、この周囲に船をつなぐいかり石が五ケ所に配置されていたと伝えられています。船山神社の拝殿の横にあるのがその内の一個とされています。
船山神社から少し西に走った所に光西寺があります。ここには旅人の為の小休所が設けられていて、境内には亨保時代の飢饉の餓死者の霊を弔う石納塔も建てられています。
少し走ると右側に桜田八幡宮の鳥居が建っていますが、そこから戸田市(へたいち)に入ります。桜田八幡宮の参道脇に宮島様と呼ばれる戸田の市恵比須が祀られていて、向かい側に幕末の戌辰戦争凱旋記念碑もあります。これはこの地域から出征した23人が無事帰国した事を氏神様に感謝して建てたものです。幕末、長州は奇兵隊の誕生をきっかけに、「隊の無い村は無い。」と言われるぐらいに諸隊と呼ばれる部隊が藩内の至る所に誕生しました。これらの諸隊は官軍として戌辰戦争にも出征した為、山口県内各地に戌辰戦争関係の史跡が存在しています。
戸田市は土蔵造り、格子窓の商家建築が点在していて、比較的往時の市町の面影を残しています。又、この地域は史跡関係の案内板が充実していて、住民の方々の地域に対する愛着が伝わってきました。
赤坂峠
赤坂峠駕篭建場跡付近?
船山神社といかり石
光西寺小休所跡
戸田市(へたいち)市恵比須
戸田市(いち)
戸田-椿峠
 戸田市(いち)の終りで旧街道は再び夜市川に出合います。夜市川に架かる柳橋と呼ばれる橋を渡り進みますが、ここから湯野、戸田一帯の領主であった堅田家ゆかりの湯野温泉へ通じる道が分岐しており、追分けになっています。旧街道と国道2号との合流点の右側に山田家本屋跡があります。山田家は堅田家に仕えた萩藩の陪臣で、幕末には萩藩主・毛利敬親をはじめ、萩藩天保の改革の立て役者である村田清風、政所の道源休屋横にある善宗寺に墓所がある女流歌人中山三屋(なかやまみや)尼などが立ち寄りました。江戸時代初期に建てられた屋敷は山口県指定の有形文化財として湯野で復元展示されています。
国道2号に合流して少し走り、山陽自動車道の下を過ぎた所で国道から右に分かれます。山裾の旧道を峠に向かって登りますが、苔谷へ向かう道の追分けの手前に一里塚がありました。この旧街道は近くを通る国道の騒音さえ無ければ静かな峠道です。峠の頂上付近で国道に合流します。
椿峠の国道沿いに「天野屋利兵衛」というドライブインがあります。天野屋利兵衛は忠臣蔵で有名になった大阪の商人です。「なぜ天野屋利兵衛がここに?」と思いましたが、実は彼はここの近くの戸田の四郎谷の生まれと言われていたのでした。四郎谷には彼の生誕碑もあると言う事です。「天野屋利兵衛は男でござる。」は作り話だ、という説もありますが、とりあえずここでは置いておきましょう。峠の頂上が都濃郡と佐波郡の境界で、現在では周南市と防府市の境界になっていて、国道脇の小高い所に郡境碑が建っています。
峠を越えて下りに入った所で旧街道は左に分かれ、国道2号の下をくぐると遠くに富海の宿と港が見えて来ます。寂しい山道を通り峠を越えた所で目指す宿場町が目に入ると、旅人はほっと胸をなで下ろしたのではないでしょうか。道が平坦に近くなると新川に沿う様に進みます。古い酒造場の前を通過し国道2号を渡る手前に円通寺があります。この古刹は元は椿峠にありましたが、江戸時代初期に現在の位地に移されました。
円通寺を過ぎ国道2号を横断し、富海の宿に向かいます。
山田家本屋
椿峠前の一里塚付近
椿峠
椿峠郡境碑
国道からの分岐
遠くに富海宿を見はらせる峠道