万行寺前辺りからが宮市宿です。
鍵の手を曲がったところから道は防府天満宮まで拡幅されていて、車では通行しやすくなっていますが、旧
街道らしさは失われています。
防府
天満宮は菅原道真の霊を祭るお宮としては全国最初のものと言われ、日本三天神の一つに数えられています。旧街道脇の一の鳥居は萩藩初代藩主毛利秀就によって建立され、銘入りの石鳥居としては県内最古のものです。旧街道を離れて天満宮の石段を少し登ると、左側に天満宮の社坊の一つであった大専坊跡があります。ここは幕末には、この地を警護する諸隊の屯所となりました。また向かい側には往時は園楽坊があり、現在は茶室が設けられていて庭の一角には暁天楼が復元されています。暁天楼は山陽道沿いにあった旅籠「藤村屋」の一部で、幕末には高杉晋作や伊藤博文、坂本龍馬ら維新の志士達がしばしば投宿し、密議を計ったと伝えられている史跡です。
安政六年(1859)五月二六日、吉田松陰が安政の大獄で江戸に護送される時に防府天満宮の前を通過し、牢駕篭の中で万感の思いを込めた歌を詠んでいます。
天満宮を過ぎると宮市宿
本陣を務めた兄部家前を通ります。兄部家は鎌倉時代から合物(塩魚)を中心に商品の流通を取り仕切り、その範囲は東は富田市、北は徳地市、西は嘉川市まで及び、宮市商業の中心として栄えました。全国測量中の伊能忠孝も泊まった事があり、建物の一部と庭が市の史跡に指定されています。
この辺りは
萩往還と重複していて、沢山の旅人が行き交い非常に賑やかな通りだったと記録にあります。兄部家から西に少し行くと定念寺があります。ここには木喰上人が彫った木喰仏があり、門前には遊行上人がもたらしたと言われている宮市観音が立っています。定念寺の横には脇本陣を務めた中村家がありました。
かつて宮市は防府天満宮の鳥居前町として栄え、商業と交易の中心地としても発達し大店が軒を列ねていました。今では町の中心地はJR防府駅側に移り、古い酒造場などが昔の繁栄の面影を留めているのみです。兄部家横には山口県の近代化遺産に指定されている伊藤洋服店もあり、また、旧街道の近くには漂泊の俳人種田山頭火の生家跡や山頭火の少年時代の通学路であった趣のある路地「山頭火の小路」などがあり、お薦めの散歩、サイクリングコースです。
国道262号と交差する辺りに一里塚が幕末頃までありましたが、今ではその痕跡を留めていません。