山陽道
宇部市船木峠-山陽町厚狭市(いち)
約9.0Km
船木峠-船木市(いち)
萱曲を過ぎて国道2号の下をくぐると船木峠の登りが始まります。田圃の間を縫うようになだらかな土の道を登って行きます。資料では国道に合流する前に峠の茶屋と薬屋であった河村家があったとされていて、藁葺き屋根の家の写真が載っていますが、今ではそれらしき場所には納屋らしき小屋があるだけです。
国道に合流して頂上までは国道を登って行きます。地図ではホテルの手前から左に旧道が走っていますが、現在では使われていない為雑草に埋まっており、奥まで確認出来ませんでした。この旧道中に茶屋跡とされる場所があるとされていますので、草が枯れる冬期にでも行ってみようかと思います。
しばらくは、ほとんど路肩のない交通量の多い国道を走ります。萱曲から頂上までは約2Kmあり半丁峠と呼ばれていました。
峠の頂上から楠町に入ります。昭和58年の資料では、旧街道は頂上付近で国道から左に分かれて下って行くようになっていますが、これも確認できませんでした。そのまま国道を下り、宇部興産専用道路と交差する手前で左に入ります。
少し下って宇部興産専用道路をくぐると、一里塚跡の案内が立っていました。現在では地蔵像一基と大師堂が建っていて、一里塚の痕跡はありません。少し走り、岡崎八幡宮を過ぎた辺りからが船木の市(いち)です。願生寺の手前に、船木村の掲示板として利用されていた御高札場跡の案内柱が立っていました。現在の楠町役場の場所に船木宰判勘場跡と本陣を務めていた御茶屋跡があり市(いち)の中心でした。勘場とは役人が出仕する役所で、昔からこの場所が政治の中心であったことが分ります。
船木市(いち)は本宿で、現在でも楠町の中心をなしています。平入りと妻入りの旧商家が混在し、銀行や商店が立ち並ぶ賑やかな通りになっています。船木市(いち)の西のはずれから国道号に合流して船木大橋を渡ります。
船木峠の茶屋と薬屋があったとされる所
旧道への入り口
一里塚跡
御高札場跡
楠町役場の船木宰判勘場跡
船木市(いち)の町並み
船木大橋-西見峠
船木市(いち)を抜けて国道に合流し、船木大橋を渡ります。現在の船木大橋は昭和11年に鉄筋コンクリートで造成された、と資料に書かれていて、旧街道に架かっていた布目橋はもう少し南側であったと言う事です。船木の渡しもこの辺りにあったと思われます。
船木大橋を渡るとしばらくは国道2号を走る事になります。この辺りの国道は歩道も狭く走っていて楽しい道ではありません。500m程走り楠町新川交差点の所で左に入って行きます。雑木林の間を抜ける道はすぐに国道に合流しますが、合流手前の右側に、古いものの土塀の立派な門構えの家が建っています。これが厚狭毛利家の儒医だった長谷川家で、敷地内に長谷川玄道寺寺子屋跡の石碑があります。
旧道と国道が合流する辺りは緩い坂になっていて台ケ坂、伏附峠と呼ばれています。伏附峠から500m程走った所に県道349号との三叉路があり銭ケ原と呼ばれていますが、ここの国道沿いの畑の横に100mだけ旧山陽道が残っていました。昭和58年の資料に載っていたので分りましたが、いつ消え去ってもおかしくない状態でした。
少し走って西見峠の手前の逢坂と呼ばれる地区にも300mほど旧山陽道の土の道が残されていました。この2つの旧街道跡は現存しているか心配でしたが、今でも残っている事が確認出来て一安心です。しかし、決して大事に保存されている訳ではないので、いつ消え去るか分りません。
旧街道は逢坂のバス停の所から右に入って行きます。この道には千林尼石畳路がわずか5mだけ残されています。この石畳は慶応年間に千林尼が悪路に難渋する人々を見かねて托鉢の浄財で造成した道で、600mほどの長さであったと資料にはあります。
石畳の少し先から鋪装されていない荒れ地になり、ここから千林尼が堂守として住んでいたという逢坂観音堂入り口までの約100mは旧山陽道跡として保存されています。旧街道はすぐに国道に合流し、西見峠を登って行きます。
昔の西見峠は這い登り西見と言われ険しい道でしたが、当時の道筋はもう無く、国道を登って行きます。旧街道は峠の頂上付近で厚狭郡山陽町に入ります。
長谷川家前
わずかに残った旧山陽道1
わずかに残った旧山陽道2
千林尼の石畳路跡
史跡として保存されている山陽道
西見峠頂上
厚狭市(いち)
西見峠の峠の頂上付近で旧街道は左に分かれます。旧街道への分岐点には新しい石の道標が立っています。以前はかなり荒れた道だったそうですが、現在では鋪装されていて車でも走る事が出来ます。旧街道に分かれてすぐの所の右側にかつては一里塚が立っていましたが、今では痕跡も留めていません。堤に沿って迂回して工場の門の前を横切り、坂を下っていくと山陽中央総合病院の所で立派な庚申塔が現われます。ここが雑賀神社で、この辺りから厚狭市(いち)に入ります。
少し行くと道の両側に鳥居が建っています。北側が鴨神社の参道で左側が護国神社の参道です。鳥居を過ぎてすこし進んだ所に、昔の記録では御高札場がありましたが、推定される場所には民家が建っていて現在では場所は不明です。
旧街道の面影を残す大屋根の商家や格子戸の家が点在する道を行くと、右側に分岐する路地があります。この道が「伊佐道」で、美祢市伊佐まで通じていました。
厚狭市(いち)の西のはずれ、厚狭川の手前に庄屋を務めた旧枝村家があります。枝村家は代々酒造業を営んで来た旧家で広大な敷地を誇っていました。今では分売され理髪店や洋品店などに分かれていますが、一番西側の家は少々古いものの立派なお屋敷です。
厚狭市(いち)は厚狭川の東岸までですが、明治時代にJRの厚狭駅が出来てからは、賑わいの中心は川の西岸の千町に移りました。厚狭川を渡った所の建物の角に道標が建っていて、旧街道はここで左折しています。
西見峠の道標と一里塚付近
雑賀神社と庚申塔
鴨神社参道
厚狭市(いち)の町並み
旧枝村家前
厚狭川西岸の道標